2019/06/28
知識の風船と知りたいと思う欲望の関係
知識と知りたいと思う欲望(必ずしもイコールではないかも知れないが「疑問」のこと)の関係をよく表した例え話に感動したので、ここで披露したい。
一般に知識という空間があると、自分の知っている知識と知らない知識に大別できるだろう。この例えを利用すると、疑問はどう発生するのか?知識と言う空間の中に自分の知識と言う風船が浮かんでいるとしよう。風船の内側が自分の知識で、外側が未知の知識。「自分は逆だ!」というツワモノもいるかも知れないが、大抵の場合風船の内側が知っている知識という事で同意してもらえるだろう。こうとらえたとき、疑問とはどのように定義できるのだろうか?
ここで、疑問とは「自分の知識の風船の表面で発生するもの」と。風船が小さければ、表面が小さく湧いてくる疑問も少ない。それでも、徐々に風船が膨らんで表面積が増えれば疑問の発生箇所もどんどん増え、疑問が次から次へと湧いてくる。知れば知るほど…である。
あまりよく考えないと、風船が小さい方が知らないことが多いので、疑問が多いはずだなどと考えてしまうかもしれない。でも、知らないと疑問すら湧かないのだ。知識の風船が小さいとそこから遠く離れた知識に対しての疑問など湧くわけもない。その風船が膨らんでいき、その知識との接点ができて初めて疑問となり、解決する事で自分の知識となる。知識の風船が膨らむ。すると、次から次へと疑問が湧いてくる。その疑問を1つ1つ解消すると、知識の風船はさらに膨らみ、疑問はさらに増え続ける。減ることはない無限のサイクルだ。こう考えると、知識を持っている人の知識はどんどん増える様に思える。資本主義と似ていて、大きい風船の方が膨らみやすい。小さい風船は疑問も少なく膨らみにくそう。「持てる者と持たざる者」の差はどんどん開きそう…。
知の巨人と呼ばれる人たちの風船はどれ程大きかったのか?自分の風船は、ダ・ビンチのそれと比べて、はたしてどれ程のサイズなんだろうか?
ところで「疑問を解決し自分の知識の風船を膨らませる」なんてサラッと簡単に書いてはいるが、それは一筋縄ではいかない難しい作業なのだと思う。インターネットで検索して、「解決!」ではきっと風船は膨らまないのだろうな。
「新しいことを知る」という事を楽しみと捉えたとき、この考え方によると知識の風船を膨らませる事は、楽しみを増やすことにも繋がる。知らない事が減るのだから、楽しみも減るとはならない。
ならばである。日々知識の風船を膨らませて、人生を楽しみたいものである。